玄関横に坪庭風な一角がある。
きのう剪定したのはこの場所で、ここには今は亡き私の父手作りの灯籠がある。
父は設計士だったが、セメントまぜて庭のいろんなものを手作りする人だった。
私が家を建てたときこれを作ってくれた。(実家にももちろん同じようなのがある)
実家は隣県で近くはないが、軽トラで運んできて、セメント持参で、設置してくれた。
中にろうそくで灯りをつけるととてもいいけど危ないから、コンセントが近くにあるから電気で灯りをつけるといいよと、何度も何度も言ってたなあ。
かなりしつこく・・・
実家の灯籠はそのようにセッティングされており(電気で灯りがともる)、こういうのを買ってきて、こんな風にするのだと何度もレクチャーされたけど、「うん、わかった」「うん、そうだね」と生返事するばかりで、私も夫もやる気はなかった。
「できたね?」と時々聞かれては「やってない」と答えて、申し訳なかった。
せっかく自分が手作りした灯籠をもっと大活躍させてほしかったのだと思う。
ごめんなさいお父さん。
そして、今もやってないのだけどね。
でもせめて、この灯籠、今は玄関の奥にあるから人目ににつかないのだけど、もう少し人から見える明るい場所へ移動させようかと考えて、お庭屋さんに相談している。
親の好意や気遣いやありがたみは、自分が親の年になって気づくこと多数。
子供は気が付かないのですよね。
気が付いても理解はできないというか。
若いときはうっとうしくめんどくさく感じることもあり。
今、自分の子供からうっとうしがられてると思い当たる節もあり。
親の年齢になって初めて、あの頃の親の気持ちが分かる。
まあ人生そういうもん、人は経験してないことは分からない。