風に吹かれて

早期退職後の自由でわくわくする暮らしを綴りたいと言いつつ、寂しくて貧乏な暮らしになるかもしれません

函館2泊3日旅行記②~五稜郭タワーほか

 

函館2日目。

行程も朝から考え、きっちりは決めず行き当たりばったりだったけど、函館は狭いところにぎゅっと観光地が詰まっているので、どうやっても失敗なく楽しめる、と思った。

 

そして、三方海に囲まれ、山にも囲まれ、どっちを見ても山と海でたいへん景色が美しい。

狭いところに街がぎゅっと寄っているので、土地が有り余っている北海道には珍しく、山の斜面や坂の途中にも家が並び、それがまるで長崎のよう(坂の町で誰も自転車に乗らない、夜景が美しいので有名)で、美しい夜景を織りなすのだろう。

 

1五稜乃蔵(酒造)     車

トラピスチヌ修道院   車

五稜郭タワー      車

函館朝市        駐車して徒歩

5大門横丁        徒歩

函館市役所       徒歩

ラッキーピエロ     徒歩

函館山         徒歩+ロープウェイ

 

1五稜乃蔵(酒造)


街中から車で20分くらいか、郊外のまずは五稜乃蔵という酒造へ。

夫の北大のお仲間が、ワークショップでここで田植えして稲を育てたというので行ってみた。

夫は知床半島でヒグマ(本物)(しかも複数)を横目に滝登り(カムイワッカ湯の滝)するワークショップだった。(どっちもすげーな)

日本酒と甘酒キャンデーなど買って帰る。

 

トラピスチヌ修道院

 

通り道にこういうところがあったので、立ち寄ってみる。無料。

建物の中には入れないが、庭と資料館とおみやげやさんなど見て、無料じゃ申し訳ないのでクッキーを買って帰る。(ココナツクッキーはとてもおいしかった)

明らかに札幌や岩見沢あたりの豪雪地帯とは樹木の種類が違う。

あじさいとかつつじがある。

南国だーと思った。

雪がまだ積もっている場所から来たので、雪が全くないだけでも驚く。

 

五稜郭タワー 

函館と言えばここ。桜の時期が有名。

星形のこれが何なのか全く知らなかったが、徳川幕府が設置した「箱館奉行」の要塞だったのですね。

江戸時代には「箱館」と表記、「函館」は明治以降だそう。

幕末の倒幕運動からの箱館戦争とか、土方歳三(ひじかたとしぞう)とか、歴史にうとい私はなんにも知らなかったので、ここで勉強した。

 

中を散歩した。桜の時期はさぞきれいだろう。正面がタワー。

函館には瓦の建物がある。さすが雪が少ない南国!私の住む豪雪地帯には瓦は皆無だ。

土方歳三ってイケメン!!「蝦夷共和国」を作ろうとした。新政府軍に負けて没年34才
薩長がこんなとこまで来たなんて驚く、鹿児島から・・・遠い、歩いて来た?)

 

そして帰ろうとしたとき、タワーの入り口に警察が2名立っていて、人が集まっている。

何だ何だ?何か始まる???しばらく待ってみることにした。

そしたら、コナン君が現れた!!

映画の宣伝だー。今度の映画は函館が舞台なのだ。

この感じは、もう少しVIPが現れそうな気配。

と思ってしばらく待っていたら、大泉洋が現れたー!!5mの目の前に。

テレビで見るそのまんまだったという印象。

背が高くてかっこいいじゃん。洋服もおしゃれ。

少しおしゃべりをして、ロケバスにいったん乗り込んだのを確認した。

でもそのあと、エレベーターでタワーの上に上がるのも確認した。

 

朝ごはんをホテルでたらふく食ったからそんなにお腹はすいていないけど、ソフトクリームくらい食べてもいいなと五稜郭前のラッキーピエロに立ち寄った。

函館と言えばラッキーピエロ。函館にしかないらしいが、函館にはたっくさんある

そしたらお客さん並んでいて40分待ちとかいう。

なので、やめた。

ラッキーピエロってフランチャイズというのかな、各店舗はオーナーがいるらしく、ここもおじいちゃんとおばあちゃん(と若いバイト)が制服着て切り盛りしていた。

 

函館でおいしいものといえば、やはり海産物なのだろうけど、海産物って北海道どこ行っても名物なのでどこでも食べられる。

なので、函館でしか食べられないラッキーピエロには絶対行こうと決めていた。

どこにでもあるから、また次の場所で!

つづく

函館2泊3日旅行記①~函館って遠い

3月の終わり(25日から27日)に2泊3日の函館旅行をした記録。

 

九州人からすると、札幌函館は福岡熊本間、熊本鹿児島間くらいの1泊2日で隣県に行くくらいだと思っていた。

 

そしたらなんと、300キロ以上あるでないの。

高速使っても4時間越え。

福岡鹿児島間、福岡広島間、よりも遠いのだ。北海道って広い・・・

北海道って高速使っても現道でも、実はそんなに時間が変わらない。

九州なら、半分くらいに短縮できるところ、北海道だと、5時間が4時間になるくらい。

なぜなら、現道でも渋滞などまるでなく、みなさん80㎞で飛ばすから。

だから、北海道の人って、仕事ならともかくお金払って高速ってあまり使わないみたい。

要するにコスパが悪いので。

九州なら長距離なら迷わず高速です。渋滞しがちな福岡、熊本を通るなら時間半減以上のコスパです。

 

だがしかし、25日の午後は札幌で用事があったため、札幌を15時すぎての出発となったので、珍しく高速を使った。

時間が読めなかったので、どこで食事するなどの予定はきっちりとは決めていなかった。

行けるとこまで高速でぶっ飛ばそうと言う夫と、昼ご飯食べない夫に合わせて、たいしたもの食べてなかったので腹ペコの私。

 

函館までの道中のチェックすべきお食事ポイントは以下のとおり。

往路か復路かでテイクアウトか食べられたらいいなと思っていた。

1 白老(しらおい)町の白老牛(ステーキ、ハンバーグなど)

2 室蘭の室蘭焼き鳥

3 長万部(おしゃまんべ)町のカニ

4 函館のハセガワの焼き鳥弁当

 

どこかで降りて、ご飯食べよう・・・早めの晩御飯、函館までは持たない。

カニ飯は16時までだって、1か2、と私が言い張るので、仕方なく高速を降りる。

 

北海道の高速道路って、サービスエリアが寂しくて、トイレくらいしかなくてコンビニもめったになければ、食事できるところもない。

一般庶民が利用しないからだと思うし、やっぱり高速道路は閑散としている。

 

室蘭の手前「登別室蘭」で降りて、夕方5時前でまだ早いけど晩御飯を食べることに。

グーグルで検索し「やきとりの一平本店」に行こう、まだお店開いてないだろうけど少し待ってたら開くやろと言いながら行ったら、早いどころではなくもう遅いというか、その日は月曜日なのに店の前にも人が並び駐車場も車がいっぱい、カウンターでよければお待ちくださいだったので待った。

お客さんの話や店の様子から予約してないと入れないみたいだ。

 

北海道、5時から飲んでるなんて時間が早い。

そして店が閉まるのも早い。札幌とかすすきのとは、だいぶ違います。

 

「室蘭焼き鳥」は、なんと豚だった!!

あとで知ったが函館の有名な「ハセガワの焼き鳥弁当」もチェックしていたけど、これもなんと豚だそうだ!!

岩見沢辺りでは焼き鳥は鳥だったけど、南部では「焼き鳥といえば豚」みたいです。

 

もちろん鳥肉もメニューとしてきちんと存在するけど、所変わればいろいろ違っておもしろい。

右:室蘭焼き鳥(豚肉たれ味)、左:鳥皮(九州ではカリカリだけど少し柔らかめ)
何にでもからしつけるみたい

うずらの卵、なんと皮ごと食べる(こんなの初めて)

北海道名物「ラーメンサラダ」一度食べないとと思ってた。サラダというより冷やし中華のような冷たいラーメン

やきとりの一平本店。17時に行っても満席。3人以上テーブル席なら予約必須。


とても美味しかったので、おなかも満足し、私のご機嫌もよくなったが、道のりはまだまだ長い。
内浦湾に沿って海沿いをずっと行く。

次の室蘭からまた高速道路に乗って、森ICというところで降りて、あとは国道5号線

 

ずーっと真っ暗だったのが、七飯町などを通り函館市に近づくにつれだんだん灯りが多くなってきた。ホテル近くのコンビニに寄って、お酒とおつまみ買って、ホテルに着いたのは21時半くらいだった。

遠かった。(半分眠りながら座ってただけだけど)

つづく

 

抱腹絶倒!清水ミチココンサートで大笑い

楽しみにしていた清水ミチコのコンサートに行ってきた。

 

抱腹絶倒の2時間。思い切り大笑い。

だけでなく、その歌とピアノ(とものまね)のうまさに感動さえする。

 

今回私は4回目だったけど、今回が一番面白かったと思う。

(一緒に行った友達3回目のA子ちゃんも同意見)

アップデートしてるわー

 

基本すべてが「ものまね」なのだが、歌(替え歌)ありピアノあり、時事ネタあり、トークあり、ミッチャンが全力で笑わせにくるし、お客さんもリピーターが多く、全力で笑いに来てるから、会場満場一致でとても楽しい時間を共有できる。

 

お客さんは40代から60代くらいの女性が多いが、ファミリーや親子とかご夫婦で来られてる方も多いので若者や男性もそれなりにいる。

九州各地から来ているが遠いところでは名古屋から来たというお客さんがいて、「どうして?」とミッチャンが聞くと「抽選で外れたから」と言っていた。

九州の方が当たる確率が高いからということみたい。会場は満席でした。

 

今回も清水ミチコの弟さんが登場した。

彼もまた、ピアノと歌がうまい。

実家がジャズ喫茶で子供のころから音楽に親しむ環境があったそうだ。

そのジャズ喫茶は弟さんがついで、現在も営業しているそうだが、営業時間は13時から17時と短く、ユーミンや森山良子さんが訪れても開いてなかったり、席がいっぱいだったりで、なかなか入れないといわくつきの喫茶店らしい。

 

家に帰って二女にどんなに楽しかったかを説明するけど、なかなか説明が難しい。

ユーミン中島みゆきをあまり知らなくても、YOASOBIとか髭ダンとかミーシャとか、若い人が見てもじゅうぶん楽しめるネタも多い。

説明用に探してたら、YouTubeに今回のコンサートでも披露されたネタがあったからご紹介。

政治がらみの時事ネタですが、笑えます!!(二女も笑っていた)

是非見て笑ってほしいです。

 


www.youtube.com

 

 

アンコールのあと最後は、ミーシャの「希望のうた」をピアノ弾きながらものまねで、歌い上げた。

この曲は、彼女のものまね十八番(おはこ)の矢野顕子作詞作曲だから、ミーシャではなく矢野顕子のものまねで歌い始めたと思う。

清水ミチコって歌もピアノも(ものまねも)本当にうまい。

だけど聞いてるうちにものまねなのは忘れて、もはやミーシャの歌をライブで聴いている気になった。

 

会場満場一致で感動。

そして、スタンディングオベーションが起きた。

コンサート参加4回目だけど、これは初めてだった。

 

コンサート後にアンケートを書くサイトがあるのだけど、その中のおもしろいやつをいくつかミッチャンが紹介して、

「〇〇のうたに感動しました。だけど、いったい誰の何に感動しているのか分からなくなりました」

 

というのに笑ったけど、まさにあれと同じだったねとA子ちゃんと話したのだった。

ミーシャなのか矢野顕子なのか清水ミチコなのか、もう誰でもいいか、美しい歌とピアノに感動して笑って泣いて、楽しかったなあ。

 

野良猫がやってくる、可愛いような可愛くないような

しーっ

パチリ(写真撮影)

ほら!尻隠さずのネコちゃんが!

眺めがいいのでこのテーブルでPC広げます

そっと近づき接写

以前からこの辺をうろついてる野良猫ですが、近頃はやけにどうどうと我が家でくつろいでいらっしゃいます。

玄関前のベンチにもいるし、自転車置き場にもいるし、金木犀の下の日陰とか、玄関屋根の高いところから見下ろしていることも。(目が合ってもどかない)

 

3日ほど前がこちら。

このときは1時間くらいそこにいた

こうやってスヤスヤと眠っている姿は、可愛いです。

起こさないようにそっとしてます。

庭に立派なウン〇を残していかれるので、それはチッと舌打ちしたくもなりますが、せっせとスコップで土に埋めています。

 

※きのうNHKあさイチで、ジェーン・スーさんが「舌打ちのすすめ」をしていて大笑いしました。あの人おもしろい。

50代のおばさんが舌打ちすると、その意外性でなかなかのインパクトがあり、十分相手がひるむという話でしたが、本当でしょうか。試してみますか。

それができない人は、「はあーっ」というため息でもいいそうですよ。

 

あれ?

でも今写真を拡大してみると、耳がとんがっていますね。

うちに出入りしている野良猫は複数いますが、前にこの場所で昼寝してる猫を確認したときは、耳がカットされており、ああ地域猫なんだ、誰かがやってくれたのだなと安心していましたが、こいつは・・・

 

地域猫とは野良猫をつかまえて、不妊去勢手術を施し繁殖しないようにして、また地域に戻すもので、そういう活動をしている方がいらっしゃるのです。

実家のお姉さんも個人的にそういうことをしていらっしゃいます。

手術したことが分かるように、耳をV字にカットして目印とします。

 

私はエサはあげませんし、野良猫はあまりありがたくはないですが、あの子たちも生きてるわけでしっしっと追い払うこともしませんし、せっせとウン〇のお片付けをする、というスタンスです。

 

だけど、耳のとんがった猫は・・・どうしよう・・・

捕まえるとか無理ー

そこまでかかわることはしたくない、のが本音です。

 

夫の実家の話続き

夫の実家は長男夫婦が継いでおり、義母と同居で91才で亡くなる最後まで丁寧な介護をしてくれた。

長男はうちの夫(三男)とは一回り以上も離れているので、もう70近いのではないかと思う。

長男夫婦には子供が3人おり、長子が中学生になるくらいの頃から同居を始めたはずだ。(よく知らない)

私が結婚のあいさつに行った頃には、すでに大家族が同居で、両親のほか祖母もまだ健在で8人家族と犬だった。(猫ではない)

そうだ、独身の夫も住んでたわけだから9人家族だ。すごい!

子供3人は全員、大学から家を出て全国に散らばっており、現在は長男夫婦のみ(と猫たち)。

 

義母の認知症の始まりはわりと早かった。

義父が75才で亡くなくなってからぐんと進んで70代の後半にはもう怪しかった。

 

認知症の進む具合に合わせて、徘徊時代などはGPSで行方不明捜索したり、ある程度歩かせて疲れさせないとまた抜け出すから、徘徊に後ろからついて回ったりしていた。

ついて回ってる途中で目の前で交通事故にあったこともあった。

のちには家の外から鍵をかけていたこともあった。

交通事故で骨折して入院したのも一度ではなかった。

二度目はかなり認知症が進んでいたから、認知症患者の入院は、24時間家族がつきそわねばならなかった。

 

徘徊には義母なりの理由があって、認知症ですっかり少女に戻っているから、「家に帰る。早く帰らないと(お母さんに)怒られる」と、子供時代に暮らした家に帰ろうとするらしい。

当然ながらその家はもうないが、その場所まではたどりついて、あれっと思い道に迷うようだ。

 

認知症は新しい記憶から先になくなり、最後に残るのは少女時代の記憶、家族の中ではまずは嫁が消え、子供が消え、最後まで分かっていたのは自分の妹たちだった。

長男(子供)を自分の夫と思っていたころもあった。(義母にしたら子供がこんな年寄りのはずがない)

妹と話す時だけは、少女時代に戻って楽しそうだった。

妹以外の家族はすっかり分からなくなって、子供や嫁は義母にしてみたら他人で、「はい、ありがとうございます。」と病院か施設の職員に対するのと同じ態度だった。

知らない人ばかりの中でここは自分の家じゃない、早く帰らなきゃと思うのも、義母にしたらちゃんとした理由なのだ。

 

おむつになるかならないかの時も大変だった。

いろんなところが思わぬ汚れ方をして、おそうじが本当に大変そうだった。

 

だんだん歩けなくなり車いすになり、デイサービスに通うようになり、自分で食べられなくなり、家で10年くらい見た後、最後の2年くらいを施設で過ごした。

 

長男二男三男で話し合って、胃ろうなどの延命措置はしないと全員一致で何年も前に決めていたのに、いざ食べられなくなると胃ろうにしたのも、なかなか考えさせられる出来事だった。

 

長男夫婦は50代60代の10年以上をお義母さんの介護に明け暮れた。

引退後のお兄さんが14時までパート、お姉さんが15時からパートで夫婦で交代で仕事しながら見ていた。

頭が下がります。

 

すごいなと思ったのは、お義母さんの認知症が分かってから、長男のお兄さん中古のキャンピングカーを買った。

キャンピングカーでどこそこ連れ出していた。

最初のうちは義母と二人で、認知症が進みめんどうみるのが大変になってからは義母の妹夫婦と一緒に3人で面倒をみながら、温泉やらお食事やら花見やら連れ出していた。

ホテルや旅館には泊まれないけど、キャンピングカーなら周囲に迷惑かけずに1泊2日の旅行ができるという。

ある意味監禁状態にできるので、徘徊防止というのもあるし、お義母さんドライブが好きだったみたいだ。

 

誰もそんなこと言わなかったけど、お兄さんは思い出作りだと言ってたけど、私はお姉さん(長男の妻)を休憩させるためだったのだと思っている。

たまに泊りで連れ出してくれたら、お姉さんもしばしほっと一息できたはず。

 

そのキャンピングカーまだある。

一人一台の車とキャンピングカーと畑作業用軽トラック。

車がたくさん並んでるから、はた目にはまだ大家族のようだ。

 

夫が三男で、自由に早期退職したり北海道へ行ったりやりたいことできるのは、この長男あってこそだ。

同じ兄弟でこうも背負うものが違うのは「運命」なのだろうか。

長男の嫁と二男三男の嫁もしかり。

長男の嫁であるお姉さんのことは、本当に尊敬している。

 

シャチホコと回り廊下のある家

夫の実家の「家宝のまきの木」を書いた流れで、この実家のことをもう少し書きたくなった。

 

kaze2fukaretex.hatenablog.com

 

夫の実家は田舎の和風建築の平家で、屋根にシャチホコが乗っているような家である。

 

田舎とはいっても、新幹線が停まる大きな駅から6km、車で15分くらいなので、それほど山奥とか僻地ではない。

 

シャチホコとは北海道の人には分からないと思うので説明すると、屋根瓦の一番上に、瓦と同じ素材でできた魚が、逆立ちして尾ひれを天に向けて立っているようなポーズで、何匹か乗っているあれです。

よくお城の天守閣などで見られますね。

西日本ではお城でなくても田舎の和風邸宅などには、わりと見られるものです。

 

民家では金色ではなく瓦と同じ色の黒です



そして、回り廊下がある家である。

私はそんな家は初めて見たので、結婚のあいさつに行ったときびっくりした。

 

回り廊下とは、廊下が家の周りを1周しているのだ。

南向きの大きな玄関を入ると、3m幅くらいの廊下がドーンと奥の台所兼居間まで伸びていて、左側を見ると10畳くらいの二間続きの和室の縁側として伸び、さらにその奥で曲がり、ぐるっと回って台所まで繋がっている。

奥の方は寝室などなので、私はあまり行ったことないが、でも繋がっている。

 

廊下だけで部屋がいくつもできそうな幅だ。

奥の方は1mくらいの普通の廊下幅だが。

60坪の平屋建てでめっちゃ広い。(そして寒い)(廊下は暖房きかない)

子供たちが小さかった頃は走りまわっていた。

 

今は猫たちが走り回っている。

猫はどんどん増えて、常時5匹から10匹くらいの猫が入れ代わり立ち代わりやってくるが、もはやどれがどれやら覚えられない。

もとは野良猫なのでたいていケガしてたり病気治療中だったりあまりキレイとは言えない猫たちで、人なつこくもない。

※お姉さん(長男の妻)が家に寄り付く猫を保護猫や地域猫にしていらっしゃいます。

(これも北海道の方には分からないかも・・・北海道って野良猫いないですよね?!)

 

亡き父がこだわって建てた和風建築のその家、8年前の熊本地震にも耐え抜いたその家、築40年以上がたって、地震の後遺症もあって、雨漏りやらもあって、建て替えの話が出ている。

お義母さんがいる間はそのままにしていたが、建て替えたい案がお姉さんと子供たち、お兄さんは手を入れて残したい案で、いまのところ意見が割れている。

さて、どっちに転がるだろう。

 

私は建て替え案がいいとは思うけど、この家がなくなると思うと寂しい。

こんな家、なかなか珍しいので、今度写真にとってこようとブログを書きながら改めて思った次第だ。

 

殿様から譲り受けた家宝のまきの木

義母の初七日が終わり、夫が北海道へ帰って行った。

 

夫の実家には、両親ご自慢の「槇(まき)の木」がある。

生前義母からも、家を建て替えたとき、まきの木を植え替えるのが大変だった、クレーン車で運び、植え替えだけで100万か200万か?かかったと聞いていた。

家の建て替えは夫が小6のときだったそうで、40年以上前のことである。

 

両親自慢のまきの木。高さ7,8mくらいか

道路側から

そんな話は聞いていたが、今回葬儀の際、思い出話をたくさんする中で改めてこのまきの木の話を聞いてびっくりした。

 

なんと200万で譲ってくれと言われたことがあるそうだ。

長男のお兄さんいわく「それも1回じゃないよ。5回くらい来たよ。」

5年くらい前に中国が景気良かった頃、中国ではまきの木人気で需要が高まり、輸出用にバイヤーが民家を回って買い付けていたのだそうだ。

 

お兄さんが庭で作業してると、道路から声をかけられたり、ピンポンと突然訪ねてきたり。

福岡の田主丸(たぬしまる)(※植木の町で有名)あたりの業者だったそうだ。

 

自慢の由来は、先代か先々代かが、肥後藩主細川家のお殿様から譲り受けたというもの。

なんでも地域で細川邸の植木手入れの手伝いに行ったときに、ご褒美に?譲り受けた由緒正しきまきの木なのだそうだ。

 

お兄さんが、家宝なのでこの木は譲れないけど、隣の大きい方なら売ってもいいと答えると、隣の木はいらない、欲しいのはこれ、バイヤーいわくその価値は、

1枝ぶりが美しい

2幹がねじれているのがいい

3葉っぱが小さく、密度が高いのがいい

 

のですって。

そう言われてよくよく見上げてみれば、なるほど確かに、隣の木とは樹形の美しさが違う、幹がねじれている!!葉っぱが細くてギュッと詰まっている!!と、娘たちと初めてしげしげと眺めたのであった。

幹がねじれており、葉っぱが小さく密度がギュッと詰まっている

これはいらないと言われた隣のまきの木。10mくらい。確かに葉っぱもスカスカ。

 

「500万なら売るっていえばよかったですね」

とお兄さんに言うと「500万でも買ったと思うよ。でも売る気がないからね」ですって。恐るべし、まきの木。

庭木も相続税の計算にいれるのだろうか???