GW明けの朝、二女は「はああ・・・・今日からまた仕事ーいやだーーーーー」と言いながら出勤していった。
「だよね、バスに乗ってる人全員がそう思ってるから。がんばれ!!」(バス通勤)
と激励しながら弁当を渡す。
※夫も長女も弁当なんか作ってやらんでいいと言うが、私もそうだよねと思うが、母は作ってしまうのです、早起きして・・・。
GW期間中ほぼ家にいなかった二女だが、最終日はいて、昨日の夜の会話。
テレビである人がある人のことをほめていてその中の「聡明で」という言葉になぜか反応した二女。
「聡明かー。聡明っていいなあ」
私もそう思う。
どれだけ真剣にそう思うかのエピソード。
私がいた職場では、15年?くらい前までは、職員向け広報誌が四半期に一度定期的に紙で配られており、最終ページには職員の家族の訃報欄と、職員の家族の出産情報が掲載されていた。
要するに「おくやみ申し上げます」と「ご出産おめでとう」コーナー。
個人情報がどうのこうのは、まだそれほど言われなかった時代。
私が出産したときも原稿依頼が来た。次の2点を書くように決まっている。
①子供の名前とその由来
②どんな子供になってほしいですか
②については長女が生まれたときも一生懸命考えたし、二女が生まれたときも真剣に考えた。
②で多いのは「明るく優しい子になってほしい」
それも定番でいいとは思うが「明るくなくても別にいいのではないか」とも思ったし「優しいというのは抽象的で具体性にかける」とも思ったし、どんな子になってほしいかまた私が自分でこうありたいと思うのはどういう要素か、を真剣に考えた結果、
おおらかで聡明な女性になってください
と書いた。
長女のときも4年後二女のときもう一度考え直したときも、同じ結果だった。
「聡明っていいよねー」と二女と同じことを言って、この話を二女にした。
さて、どうかな、そういう人になったかしら。
二女曰く「お姉ちゃんも私もおおらかではあるかな。聡明は・・・」
道半ばだね、今後に期待してるよ!!
私は「おおらかさ」は持っていない。だからほしかった。
長女も二女もおおらかな夫に似て、おおらかさはもっていると私も思う。
うらやましい。
「聡明さ」にも憧れる。
「頭がいい」「知識が豊富」「勉強が得意」というのとは違う。
「賢い」というのとも違う。
なんというか、「正しく考え正しく判断し正しく行動する」(ぎゃーこれは私の出身高校の校訓ではないか!!唱和していたぞ)感じ。
時と場合に応じて臨機応変に対応できるバランス感覚を持ち合わせた、ちょっと人格的にも優れた感じ。
「おおらかで聡明」はどっしり構え、的確な判断で人生を切り開き周囲も幸せにする、そんな感じがしませんか。
最強じゃないか。
私も道半ば。