東北弁が聞きたくて、秋田の居酒屋でも、ホテルのフロントでも周囲の会話に耳をそばだててみた。
が、なかなかみなさん標準語。
盛岡のホテルフロントの若い女性は標準語なんだけどイントネーションが東北弁で、おお、とは思った。
盛岡から花巻へ移動の途中で寄った道の駅「石鳥谷」。


ベンチに座って休憩しつつ(おやつは前日別の道の駅でつい買ってしまい食べきれずに持っていたいちご)、周囲を観察していると右隣、少し離れた左隣に年配の二人連れが二組。
どちらも会話に花が咲いている。
注意深く耳をそばだてる。
ちょっと聞き取れないので、ポスターを眺めるふりなんかしつつ、近づいてさらに耳をそばだてる。
これが東北弁か!!タレントの王林ちゃんを思い出す。
もう一組の方にも近づいて、ベンチに座りなおしたりしてこっちの会話も盗み聞き。
我ながら不審な動きで怪しい人のようだったが、だってリアル東北弁が聞きたかったんだもん。
そして思い出す一句。
「ふるさとのなまりなつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」石川啄木
まさに私がやってるのはこれではないか!と思った。
啄木も同じことやってるんじゃん。
私の場合はなつかしさからではなく興味ですけど。
石川啄木は盛岡出身。
盛岡の街中には「石川啄木の家」があったりそこかしこに啄木の気配があった。
そして花巻は宮沢賢治。
どちらも盛岡中の出身だそうだ。
花巻にはそこかしこに賢治の気配があった。
宮沢賢治記念館に行ってみた。


記念館と賢治の学校の二つの建物と、賢治の世界が体験できるように作られている庭でできていて広大な敷地。
土日の夜間は庭のライトアップが売りだった。



岩手に行くからってわけではなく、まあそんな予感もあったからかもしれないが、私は今年の春ごろなんと「宮沢賢治」をひと通り読んでいたのだ。
奇しくも予習済みであった。
中高生の頃も読んだことあるけれど、正直あんまりおもしろいと思ったことはなかった。
だがしかし、数十年ぶりに大人になって読むと(大人と言うより・・・もっと)感じ方がずいぶん違うものだなあと思った。
読書力というか読解力は、今の方が格段に上がっている気がする。
衰えることばかり体験するけれど、こと読書に関しては、その能力が上がっている気がする。
人生の経験値が上がっているからなのだと思う。
年取るのはいいこともあるな。