風に吹かれて

早期退職後の自由でわくわくする暮らしを綴りたいと言いつつ、寂しくて貧乏な暮らしになるかもしれません

夫の実家の話続き

夫の実家は長男夫婦が継いでおり、義母と同居で91才で亡くなる最後まで丁寧な介護をしてくれた。

長男はうちの夫(三男)とは一回り以上も離れているので、もう70近いのではないかと思う。

長男夫婦には子供が3人おり、長子が中学生になるくらいの頃から同居を始めたはずだ。(よく知らない)

私が結婚のあいさつに行った頃には、すでに大家族が同居で、両親のほか祖母もまだ健在で8人家族と犬だった。(猫ではない)

そうだ、独身の夫も住んでたわけだから9人家族だ。すごい!

子供3人は全員、大学から家を出て全国に散らばっており、現在は長男夫婦のみ(と猫たち)。

 

義母の認知症の始まりはわりと早かった。

義父が75才で亡くなくなってからぐんと進んで70代の後半にはもう怪しかった。

 

認知症の進む具合に合わせて、徘徊時代などはGPSで行方不明捜索したり、ある程度歩かせて疲れさせないとまた抜け出すから、徘徊に後ろからついて回ったりしていた。

ついて回ってる途中で目の前で交通事故にあったこともあった。

のちには家の外から鍵をかけていたこともあった。

交通事故で骨折して入院したのも一度ではなかった。

二度目はかなり認知症が進んでいたから、認知症患者の入院は、24時間家族がつきそわねばならなかった。

 

徘徊には義母なりの理由があって、認知症ですっかり少女に戻っているから、「家に帰る。早く帰らないと(お母さんに)怒られる」と、子供時代に暮らした家に帰ろうとするらしい。

当然ながらその家はもうないが、その場所まではたどりついて、あれっと思い道に迷うようだ。

 

認知症は新しい記憶から先になくなり、最後に残るのは少女時代の記憶、家族の中ではまずは嫁が消え、子供が消え、最後まで分かっていたのは自分の妹たちだった。

長男(子供)を自分の夫と思っていたころもあった。(義母にしたら子供がこんな年寄りのはずがない)

妹と話す時だけは、少女時代に戻って楽しそうだった。

妹以外の家族はすっかり分からなくなって、子供や嫁は義母にしてみたら他人で、「はい、ありがとうございます。」と病院か施設の職員に対するのと同じ態度だった。

知らない人ばかりの中でここは自分の家じゃない、早く帰らなきゃと思うのも、義母にしたらちゃんとした理由なのだ。

 

おむつになるかならないかの時も大変だった。

いろんなところが思わぬ汚れ方をして、おそうじが本当に大変そうだった。

 

だんだん歩けなくなり車いすになり、デイサービスに通うようになり、自分で食べられなくなり、家で10年くらい見た後、最後の2年くらいを施設で過ごした。

 

長男二男三男で話し合って、胃ろうなどの延命措置はしないと全員一致で何年も前に決めていたのに、いざ食べられなくなると胃ろうにしたのも、なかなか考えさせられる出来事だった。

 

長男夫婦は50代60代の10年以上をお義母さんの介護に明け暮れた。

引退後のお兄さんが14時までパート、お姉さんが15時からパートで夫婦で交代で仕事しながら見ていた。

頭が下がります。

 

すごいなと思ったのは、お義母さんの認知症が分かってから、長男のお兄さん中古のキャンピングカーを買った。

キャンピングカーでどこそこ連れ出していた。

最初のうちは義母と二人で、認知症が進みめんどうみるのが大変になってからは義母の妹夫婦と一緒に3人で面倒をみながら、温泉やらお食事やら花見やら連れ出していた。

ホテルや旅館には泊まれないけど、キャンピングカーなら周囲に迷惑かけずに1泊2日の旅行ができるという。

ある意味監禁状態にできるので、徘徊防止というのもあるし、お義母さんドライブが好きだったみたいだ。

 

誰もそんなこと言わなかったけど、お兄さんは思い出作りだと言ってたけど、私はお姉さん(長男の妻)を休憩させるためだったのだと思っている。

たまに泊りで連れ出してくれたら、お姉さんもしばしほっと一息できたはず。

 

そのキャンピングカーまだある。

一人一台の車とキャンピングカーと畑作業用軽トラック。

車がたくさん並んでるから、はた目にはまだ大家族のようだ。

 

夫が三男で、自由に早期退職したり北海道へ行ったりやりたいことできるのは、この長男あってこそだ。

同じ兄弟でこうも背負うものが違うのは「運命」なのだろうか。

長男の嫁と二男三男の嫁もしかり。

長男の嫁であるお姉さんのことは、本当に尊敬している。