お盆が近い。
私の家には神棚も仏壇もないが、ピアノの上に写真たてを3つばかしおいているコーナーがあって、なんとなくそこにときどきお水とかお菓子とか、お花とか果物をそえるようになった。そしてなんとなく、手を合わせる。
ひとつは私の両親と私の子供たちが実家の満開のハナミズキの前で撮った写真。
子供は高2と中1くらい。
まさかね、この3~4年後に両親がふたりともいなくなってしまうとはこの4人の笑顔からは想像もできなかったことだ。10か月のあいだに二人とも亡くなるなんてね。
もうひとつは夫の両親と子供たちが、JRのシートに仲良く一列に座って並んでいる写真。
子供たちは6才と2才くらい。
最初で最後の義両親との一泊旅行のときのものだ。
ふと私が思いついて、突然企画した旅行だった。
SL列車のあそBOYに乗ったのよね。私の調べ方が甘くて、危うく乗れないところだった。
当時、携帯なんて義両親は持ってなかったし、乗る駅が別だったから連絡も取れないし危ないとこだったのよね。結果、みんなで乗れてよかったのだけど。
この翌年くらいではなかったろうか。義父が亡くなったのは。
なんでふと思いついて、私が一人で企画したのか定かでないが、旅行くらいしておいてよかったと義父が亡くなったとき思った。
あとは家族4人の写真と子供の小さい頃のかわいい写真と、それと去年見送った犬の写真。
トイプードルの男の子。
16才で旅立った。
人生をまっとうして旅立った。見事な旅立ちだった、と私は思う。
これが生き物の死だ、こんな風に私も最後を迎えたいと思った。
亡くなった人たちのことをおもう。大好きだったけど、寂しいしまた会いたいと思うけど、悲しくはないんだよね。いっとき会えないけど、いつかまた会えると思うんだよね。
家を建てた翌年くらいに、犬を飼った。
下の子供が5才だった。夫婦とも公務員の共働きで子供も小さく、ただでさえめっちゃ忙しい毎日なのに、犬なんて無理、と夫は反対したので、あんたはなんもせんでいいと私が飼った私の犬だった。
私は本当は子供の数は理想3人と思っていたから、でも仕事しながらの子育ての限界を二人で十分感じていたから、犬は3番目の子供のつもりだった。
黒のトイプードル。私はペットショップでは買わないと決めていたので、(いろいろ疑問が多いし、ペットショップを眺めるだけでも心が痛む・・・)ブリーダーさんがやってるペットショップで、昼間はペットショップにいるが、夜は連れて帰ってお母さんと兄弟と一緒に過ごしているスタイルのお店で、5人兄弟の売れ残りの2匹のうちの一匹を買った。
3か月の子犬だった。それはそれはかわいくてやんちゃで、そこら中にウンチをするしいろんなものを嚙みちぎるし最初はしつけがいった。
当時の私は、0.3人分の子育て感だと思っていた。
子育ての大変さ指数が人間1人の3割という意味。
3番目の子供のつもりだったから、なんのその、です。
「子供が生まれたら犬を飼いなさい」という諺?ではないがイギリスにはそういう言葉があるのだそう。
それは多分あとで知ったと思うが、私は自分の子育ての環境には犬がいてほしいと思っていた。子供は犬と一緒に育ってほしいと思っていた。人間の暮らす環境に、犬や猫がいるのが自然だと思っていた。
そうだ、思い出した。
上の子供が小学4年で迎える夏休みを前に困っていたからだ。
小学3年までは毎日弁当持って学童保育に通っていたが、学童は3年までしか受け入れがなく4年生の子供は長い夏休み一人で家にいることになりかわいそうだなと思ったのだった。
職場が近かったから、昼休み家に戻ると、子供と犬が昼寝していて、かわいいようなかわいそうなような申し訳ないような、なんともいえない思いがしたものだ。
諺ではなく、以下、作者不詳の詩だそうです。
子供が生まれたら犬を飼いなさい。
子供が赤ん坊のとき、子供の良き守り手となるでしょう。
子供が幼年期のとき、子供の良き遊び相手となるでしょう。
子供が少年期のとき、子供の良き理解者となるでしょう。
そして子供が青年になったとき、自らの死をもって子供に命の尊さを教えるでしょう。