風に吹かれて

早期退職後の自由でわくわくする暮らしを綴りたいと言いつつ、寂しくて貧乏な暮らしになるかもしれません

うちの犬が亡くなった日のこと

昨年4月にうちの犬が亡くなった日のことを記録しておこう思う。

たいした病気もせず16才と1か月で人生をまっとうして旅立った。見事な死だった。

 

3月12日が誕生日だったから16才になってまもなくの3月終わりころから、食欲がなくなり元気がなくなってきた。ささみやちゅーるなら少し食べる。

 

歩くのにフローリングではすべって足元がおぼつかなくなってきた。廊下やリビングのはしっこなどにも、滑り止め付きのキッチンマットを買ってきてしきつめた。

でも大好きな散歩は行く。ゆっくりだけどしっかり歩く。

 

3月28日 仕事から遅く帰るとベッドでおもらししてからだじゅう濡れていた。遅くなってごめんと泣きたくなった。

3月29日 くさい匂いを放つようになった。魚がくさったような生臭い匂い。くさいのはおもらしのせいかもとごしごし風呂に入れて洗った。(ごめん)匂いはとれない。

4月6日水曜日 食べない食べない!病院に行きたいけど仕事で行けない。

4月7日木曜日 いよいよ何も食べなくなったので仕事を半日休んで病院に連れて行く。流動食と薬を注射器で口から入れてくれた。元気になって散歩も行く。

不思議なことにくさい匂いが一瞬で消えた。死ぬときの匂いなのかもしれないとあとで思った。

4月8日金曜日 食べないけど散歩には行く。年に数回ほどしか立ち話なんてしないお隣の奥さんとたまたま散歩の終わりでお互いの犬のことで長話。かわいそうに30分ほども立ち話につきあわされ、その間ずっと立っていた。きつかったよね。

散歩が大好きだったね

4月9日土曜日 私は土日仕事が休み。一緒にいられる。

食べないからまたくさい匂いがしてきた。

水も飲まなくなった。せめて水だけでも飲んで!と病院でもらった注射器で水を口から入れようとするが歯をくいしばって口を堅く閉じて開けようとしない。入れるなって言ってた。

土曜日午前中なら病院が開いている。次の日は日曜日だから行くなら今、病院に行くかどうか迷った。じたばたしながら一人で迷った。考えた。

今病院に行ったら、また流動食と薬で何日か生きながらえるかもしれない。だけどしょせん時間稼ぎでしかない。月曜日になれば私はまた一週間仕事で見守れない。ずっと一緒にいられるこの土日にいっぱいだっこして話しかけて静かに見送った方がいいのではないか。

歯をくいしばって口を開けず「水も飲みたくない」とはっきり意思表示してるのだ。

人間も犬も一緒だ。亡くなるときは食べなくなり、やがて水も飲まなくなり、からだから水分を減らして死ぬ準備に入っているのだ。

お別れの時がきたのだと観念した。

 

家族ラインに病院にはもう行かない、見送ることにすると連絡し、みんな驚いて悲しがったけど異論はなかった。

土曜日は何度か立ち上がったから、庭に出してあげるとなんにも食べてないからおしっこも出ないけど用を足そうとした。よろよろとぐるぐると同じ場所を回った。

 

4月10日日曜日 午前中までは立ち上がって歩こうとして、頭から転んだ。庭にもだっこで出てしばらく一緒にすごした。おむつにした。

午後からは寝たきりとなった。ときどき体位をかえてあげた。うんともすんとも言わず静かに眠っているばかり。

なでたり話しかけたりして過ごした。

4月11日月曜日 日にちが変わって夜中1時と4時に起きて見たときはまだ息があった。肩で息するようなゆっくりと苦しそうな呼吸だった。

 

朝6時、息が止まっていた。まだ温かかった。ちょっと前に息絶えたようだ。死ぬ瞬間には立ち会えなかったけど、私に悔いは一切なかった。

生き物はこういう風に最後を迎えるんだなと妙に感心した。理想的な最後ではないか。亡くなる2日前まで一緒に散歩に行ったのだ。そして2日間だっこしてお話して一緒に過ごし、ちゃんとお別れする時間があった。

寂しいけど不思議と悲しくはない。ありがとうという気持ちの方が大きかった。

私もこういう風に人生の最後を迎えたいと思った。